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バスは松川浦へ。(9:14撮影) |
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昨年はがたがた道だったが、今回はきれいに舗装されていた。 |
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昨年お世話になったみなと屋さんの前。ここもきれいに舗装されていた。昨年は漁港も地盤沈下などの修復工事の最中だったが、今回はすっかりきれいになっていた。(9:23撮影)(福島県相馬市尾浜追川) |
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漁の準備をする漁師さんたち。話しかけても口は重かったが、写真は「どうぞ」といってくれた。昨年よりも漁師さんの姿は多く見られ。本格操業に向けてはこれからが正念場のようだ。
[関連情報]
岩手、宮城両県では水産業の再生が進んでいる。漁港などの施設が整備され、2015年度の水揚量は、宮城は震災前の78%、岩手は67%まで戻った。ただ、売上高の回復は鈍く販路開拓が次の課題となっている、一方、福島県では魚種を制限した操業が続き、主力の沿岸漁業が試験的な操業にとどまる。2015年の水揚げ量も震災前の15%にすぎない。試験操業は12年6月から始まり対象海域も拡大。魚種も3種類から72種類(16年1月27日現在)に増え、県外にも出荷している。今後は本格操業への環境は整いつつあり、原発20キロ圏内と定めた漁業自粛海域を縮小する方針である。ただ、これまでも原発から汚染水が流出したときは操業中断を余儀なくされており、不安定な状態であることに変わりない。 |
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さらにバスは6号線を北上する。宮城県東南端の亘理郡山元町では新JR坂元駅の建設工事を車中から視察。線路を高架にした上陸側に移動しての復旧工事はかなり進んでいるようだ。JR東日本
常磐線 相馬~浜吉田間は2016年12月末までに再開予定というが・・・(9:57撮影) |
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山元町では、新しい家が建ち始めている。 |
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津波で壊滅的な被害を受けたイチゴハウスもだいぶんと復活してきた。
[関連情報]
東日本大震災の前、宮城県山元町と隣の亘理町は、ともに東北最大のイチゴ産地であった。2町合わせたイチゴの生産額は約40億円、イチゴ生産農家は380戸、そのうち山元町は約130戸であった。
震災によって山元町のイチゴ農家は壊滅的な被害を受けた。無傷で残った農家は2~3戸にすぎず、 一部損壊を含めても10戸弱となり約9割以上がハウスを流され全壊したことになる。 |
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旧JR山下駅。だんだんと駅の痕跡がなくなっていく。 |
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被災直後の駅の様子。橋元商店に展示してあった写真から。 |
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駅前の橋元商店さん。橋元商店のフェイスブック(外部リンク)
(山元町山寺字頭無161-1) |
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同商店で買い物をするツアー参加者。店主の橋元さんから、かさ上げ県道のルート変更問題の説明を聞いた。詳細は下記に。橋元さんは、県道のルート計画について町と県で責任をなすりつけあっているが、すでに用地買収に入っているという。 |
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河北新聞 地図
山元町では、沿岸部を走る県道を最大で500メートル内陸に移設。4~5メートルかさ上げして防潮堤の役割をもたせる計画だが、海側に取り残される住民が県道ルートの変更などを求めている。
山元町では約2500世帯が被災し、町は被災世帯に対して内陸の3か所に整備する新市街地に移転することを促している。笹野地区は、災害危険区域で新築は禁止されているが、被災家屋を補修して住むことは認められた。そうして現地再建した15戸が海側に取り残されようとしている。さらに、新しい県道ルートには補修した住宅が数軒あり立ち退きを迫られている。 |