Japan Patients Association 

   


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2016年3月12日(土)10:00 JR郡山駅を出発

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 1  3月12日、福島民報の朝刊。前日に開催された式典の様子が大きく掲載されていた。
 2 JR郡山駅前の線量計は0.148μSv/hを示している。 東京では0.04μSv/h程度。
 3 10時、黄色のバスで13名が出発。
[関連情報]
2015年の国勢調査速報によると、福島県の人口は10年前の前回調査に比べて11万5458人(5.7%)減の191万3606人となり東京電力福島第1原発事故による影響が大きい。全域が避難指示区域となっている大熊、双葉、富岡、浪江4町の人口はゼロ。市町村別では、15年9月にほぼ全域の避難指示が解除された楢葉町は前回調査比87.3%減の976人。15年10月に東部に出ていた避難指示の大部分が解除された川内村も同28.3%減の2021人と大幅に減少しており、住民の帰還が進んでいない現状を示している。一方、原発周辺地域からの避難者や除染などの復興関連事業の従事者の受け入れが多い福島、いわき、相馬市3市や三春町は0.6~2.1%増加している。福島県では、帰還を断念して避難先での不動産の取得や移住する人が増えている。
 4 バス内でのインフォメーション。

飯館村を視察

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 5 川俣町で小休憩の後、飯館村に向かう。(11:09撮影)
 6 東京電力福島第1原発事故で全村避難が続く福島県飯舘村を視察。バスを降りたのは、国道399号線と県道12号線が交差するあたりで居住制限区域になる。閉鎖したままの店舗。(11:58撮影)
 7 飯館村を視察。住民のいない住居。以前は住居前の駐車場は荒れていたが、今回は除染によりきれいになっている。一部の事業所は昼間営業をしていた。
 8 線量は2.07μSv/hを示している。(12:00撮影)
[関連情報]
政府は福島第1原発事故被災地の「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」の避難指示を、2017年3月までに解除する方針を出している。すでに4年以上も避難を続けている住民たちの帰還に期限を切り、それまでの間に対象の自治体を集中支援するという。避難指示の解除は保障の打ち切りを意味しており、厳しい現実が待ち受けている。

昼食、小高区塚原(村上海岸)を視察

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廃棄物の処理を示す看板
 9 福島県では、あちらこちらに除染作業で出た汚染度が野積みされていた。民家の庭で保管されている汚染度も多く見られた。(12:05撮影)
[関連情報]
福島県内の除染は帰還困難区域を除き2017年3月末までの完了を計画しており、一定の進展がみられる。ただ、除染が進むにつれ、こうした仮置き場や民家の庭などに保管される汚染度の量は増加している。同県の大熊町、双葉町に建設する中間貯蔵施設への汚染度の搬入は15年3月から始まった。しかし、これまでに取得できた施設用地は予定の約1%にとどまり、施設建設の歩みは遅く仮置き場解消のめどは立っていないのが現状だ。
10 南相馬市の食彩庵で昼食。(13:01撮影)
11 南相馬市小高区塚原(村上海岸)に向かう。(13:54撮影)
12 塚原周辺の被災地。高台の家屋は崩壊を免れたが、低地はこのとおりの状態。
あまり復興が進んでいる様子はないが、ダンプカーはたくさん走っていた。
13 防波堤は依然として被災したままになっている。
14 視察の様子。 この付近に昨年まであった1階部分が壊れた家が数件あったが、撤去されていた。近くには、災害廃棄物の処理を示す看板があった。(13:58撮影)

浪江町で思いでの品展示場を見学

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15.16.17.18 浪江町で思い出の展示場を見学。

吉沢牧場からJR小高駅を視察、そしてホテルへ

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19 毎回訪問している吉沢牧場(非営利一般社団法人 「希望の牧場・ふくしま」)に着く。残念ながら吉沢さんは出張中で会えなかったた。(15:00撮影)
20 被爆した牛。約300頭いるらしい。
21 入り口の様子。
22 裏側に、「感謝」の文字があった。原発事故から5年になり、吉沢さんの心境も変化したのだろうか。
23 線量は、4.70μSv/hと高い。これは、昨年とほとんど変わらない。
24 バスはJR小高駅に向かう。
25 JR小高駅には作業車が停止していた。復旧作業が進められていることがわかる。(15:43撮影)
政府は、東京五輪・パラリンピック開催前の2020年春までにJR常磐線の全面開通を目指す方針である。
この地区の避難指示は解除されておらず、駅前大通りはひっそりしているが、日中に限って出入りが許されている。
26 昨年まで、駐輪場には震災当時のまま自転車が放置されていたが、今回はきれいに撤去されていた。再開に向けて、駅全体も整備されている。
27 JR小高駅前で集合写真。(15:46撮影)
28 駅前では小さなお店が営業をしていた。情報発信・アンテナショップ『希来(きら)』(外部リンク)   
ツイッター(外部リンク)
人の姿もちらほらとあった。
29 南相馬市内に戻りJR原ノ町駅。
30 ミニシンポジウム会場のロイヤルホテル丸屋に到着。(16:13撮影)

ミニシンポジウムの開催、夕食交流会

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31 ミニシンポジウムの様子。(16:59撮影)
ミニシンポジウム報告
32 南相馬市立病院医師 小鷹昌明先生。
講演資料(2.85M)
小鷹先生は埼玉県出身、震災後栃木県の大学病院を退職して南相馬に移住。医療活動を行う他に、HOHP(ホープ: H=引きこもり  O=お父さん H=引き寄せ P=プロジェクト)として男の木工教室や男の料理教室を開催していること。治安維持のため、市民マラソンチームを結成して夜の街をパトロール・ランニングしている活動などを紹介された。
[関連情報]
東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島の3県で、プレハブ仮設住宅での孤独死が毎年増え続け、15年は51人だった。5年間で計190人に上がる。男性が72.1%。多くの被災者が災害公営住宅(復興住宅)に移るなか、取り残された中年男性らが誰にもみとられずに亡くなっている。
33 宮城県の多発性硬化症患者 鈴木明美さん。
鈴木さんからは目にも少し障害がある。仮設住宅の改修で国が方針を出しても被災地の現場の役人までそれが届いていないことがあり障害者対応の住宅改修をお願いしてもなかなか取り合ってもらえなかったことや石巻市の復興公営住宅に入居後の悩みなどを聴かせていただいた。
余談だが、翌日のバスの中で鈴木さんから家賃について教えてもらった。自立再建が困難な人を対象にしているので、低所得世帯は8000円だが高所得世帯の場合は8万円(4LDK)になるらという。しかし、ある程度の所得がある人は、8万円の家賃を払うぐらいならもう少しがんばって自力で家を立てようとすることも多いらしい。家を建てる場合は、市から土地を購入するか、20年契約とかで借り上げをするという。
[関連情報 1]
岩手、宮城、福島3県にある災害公営住宅(復興住宅)で入居者の37.8%を65歳以上の高齢者が占める。若い人が自力で自宅を再建するなかで高齢者が復興住宅に集まっている。高齢者に占める一人暮らしの割合も29.8%に上る。
[関連情報 2]
小鷹先生と鈴木さんは、2013年発行の難病患者サポート事業 調査・記録事業「患者・家族のこえ Ⅱ」にも寄稿いただいている。
34 浪江町で被災した佐藤正男さん。
佐藤正男さんからは、福島第1原発による放射能災害で精神的ダメージが大きくなり夜も寝られず薬剤依存症となり複数の薬を服用したことや夫婦中もうまくいかず離婚の危機に至ったという話を聴かせていただいた。また、佐藤さんは、国は浪江の人をみていない。遠くで理想だけと批判し。もう浪江には戻れない、私の健康年齢はあと10年か15年だから、その間に楽しく死んでいきたいとのべた。
佐藤さんには昨年のツアーで居住制限区域にある浪江町の自宅を視察させていただいている。
[関連情報]
東日本大震災関連の自殺者は15年1~11月で22人。(警視庁発表)そのうち福島が19人で突出、岩手2人、宮城で1人だった。過去5年間では計161人となり、福島が半数を占める。
原発事故による汚染は、人々の生きる希望さえも奪っていくものであることがわかる。
35 夕食交流会の様子。(18:56撮影)
36 お料理。
 2日目に続く                                       
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